11/25/03:24
|
05/20/00:02
|
ミャンマー、ASEANから医療関係者受け入れへ=シンガポール外相
[シンガポール 19日 ロイター] シンガポールのヨー外相は19日、サイクロン被害を受けたミャンマーが、東南アジア諸国連合(ASEAN)との合意に基づき、救援作業に従事する外国人の医療関係者を受け入れることを明らかにした。 外相は記者会見で、「ミャンマーは国際支援を受け入れるだろう」と述べた。 いや~、よかったです。 これで多くの命が助かる事でしょう。 本当によかった。 政府の思惑で命を奪われてしまうなんて 人道的におかしな話ですもんね。。。 そういえば、あの界隈の国って どことなく似てると思いませんか? 風景っていうか 空気っていうか。。。 寺院とか建物のせいかな? 気候も似てるしね。 明日の日本は天気がよくなさそう。。。 出かける時は忘れずに。傘。 あ、電車にも置き忘れないように しましょう☆ ランキングに参加してます。 ポチっとクリック(=´ー`)ノ ヨロシクです☆ ↓↓↓↓↓↓ もういっちょクリック! ↓↓↓↓↓↓ で、もう一回クリック! ↓↓↓↓↓↓ クリックありがとうございました☆ PR |
03/30/15:42
|
(読売新聞 - 03月29日 21:19) 読売新聞 【北京=牧野田亨】中国国営新華社通信は29日、欧州でチベット自治区ラサの暴動鎮圧への批判を背景に、北京五輪開会式のボイコットを検討する動きが出ていることに対し、「中国政府はチベット問題で決して妥協しない」とする評論記事を配信した。 記事は「チベット問題は中国の領土保全に直結する問題」と指摘。ボイコットを呼びかけている人権団体などについては「自らの影響力を過大評価している。五輪を中国に圧力をかける機会と見なしても、中国政府は決して妥協しない。いかなる政治的脅迫も拒絶する」と断言した。 一方、別の新華社電は、開会式への参加の是非が議題となった28日の欧州連合(EU)非公式外相理事会について報じたが、開会式不参加の動きには一切触れなかった。 連日の報道ですが。。。 ・・・(;´Д`)ウウッ… 中国は強気です。 (;・∀・) コレだけいこじなのも北朝鮮並み???? ( ´△`)アァ- 中国 国際社会において 先進国と呼ぶにはまだ早い気がします。 といいつつ 私は反中派ではありません。 むしろ中華は大好きです。 あ、食べ物じゃないですよ。。。 古の頃より伝わる 素晴らしい哲学は私の心をとらえて離しません。。 そんな素晴らしい価値観を持つ 中華が今のような状況にあるのは 本当に残念に思っているのです。。 これから、ASEANの動向や アジア通貨の件でも 大きくリーダーシップを要求される国の 一つであるのにもかかわらず 現状はあまりにも嘆かわしい。 共産主義によって 思想にまで毒が回ったか?中国!!! ランキングに参加してます。 ポチっとクリック(=´ー`)ノ ヨロシクです☆ ↓↓↓↓↓↓ もういっちょクリック! ↓↓↓↓↓↓ で、もう一回クリック! ↓↓↓↓↓↓ クリックありがとうございました☆ |
03/17/11:17
|
(゚Д゚)ノ ァィ
チベットでの暴動で 多数の死者が出ているらしいです。 今回も、中国側の鎮圧に 世界中から批判が集中しています。 オリンピックのホスト国の中国が 世界的に非難を浴びるような 政策をとるなんて、、、 愚かじゃないですか? とかく、中国はこの手の問題が多い!!! 農村部に対する政策やなんかでも かなり非人道的な弾圧が行われているし その反政府的な波を 日本に対する非難や批判で プロバガンダ→問題をうやむやにする。 チベット自治区に関しても なんで自治区なんでしょう? 意味がわかりません。 せっかく、新しい鉄道も開通し チベット旅行が便利になってきたのに この騒動。 ロシアと一緒で中国も 分離・独立政策に着手したほうがいいんじゃない? くだらない争いの犠牲者は いつも 弱者です。 命の重さを知らぬ国家は 必ず滅びる。 ランキングに参加してます。 ポチっとクリック(=´ー`)ノ ヨロシクです☆ ↓↓↓↓↓↓ もういっちょクリック! ↓↓↓↓↓↓ で、もう一回クリック! ↓↓↓↓↓↓ クリックありがとうございました☆ |
03/07/20:42
|
09/17/16:19
|
<タイ機炎上>プーケット空港で着陸に失敗、88人が死亡
(毎日新聞 - 09月16日 22:02) 【バンコク浦松丈二】タイ南部のプーケット国際空港で16日午後3時半(日本時間同5時半)ごろ、バンコク発のワン・トゥー・ゴー航空269便(MD82型旅客機、乗客123人、乗員7人)が着陸に失敗、滑走路をオーバーランして炎上した。ロイター通信によると、プーケット県のワラポット副知事は88人が死亡、残る42人が負傷したと語った。うち5人は重傷という。 日本の外務省によると日本人乗客はいなかった。AP通信によると旅客機には78人の外国人が搭乗し、死亡者には英国、豪州、イスラエル、アイルランド国籍の人が含まれているという。 当局者が地元テレビに語ったところによると、事故当時、空港周辺は激しい雨が降っていた。事故機はいったん着陸態勢に入ったが、視界不良のため管制官から着陸中止の許可を得たて上昇しようとしたが、そのまま滑走路に墜落。横滑りしながら滑走路の脇に外れ、機体が二つに折れ炎上した。 事故機に乗っていたマルネ・キッセルさんは「着陸直後に炎上した。機内はパニックになった」とAFP通信に語った。生存者の一人は「機内アナウンスが一切なかった」と述べた。 ワン・トゥー・ゴー航空は、00年に設立された格安運賃が売り物の民間航空会社オリエント・タイ航空の国内線部門。 プーケット島はタイ南部のアンダマン海に浮かぶ同国最大の島。国際的なリゾート地で、日本人観光客にも人気がある。04年12月のインド洋大津波で大きな被害を受けた。 という記事があり、(-ω-;)ウーンっと思ってみてました。 実はプーケットには特別な思い出がありまして。。。 それは2004年12月26日。 今でも忘れることはありません。 そうです。スマトラ島大津波の日です。 2004年12月20日。 私は日本を出発し長い旅が始まろうとしてました。 2005年1月からインド洋上マレーシア沖での 風力発電プラントの建設のための 海洋調査ならびに発電計画の調査の仕事で 6ヶ月間の旅の予定でした。 私は、長年の夢でもあった「南国のビーチ」で のんびり年越ししようと計画しあえて2004年の 年末に日本を出発しました。 タイBKKに到着後 プーケット行きのチケットとホテルを 予約しようという計画だったのだが… クリスマスシーズンが始まり 多くのヨーロピアンがすでにタイに入国していて しかも、プーケットは人気も高く 航空券もホテルもすごく高い金額だった。 (-ω-;)ウーンどうしよう・・・ と、考えをめぐらせた結果 近場でビーチがあって のんびりしながら翌年の仕事の英気を 養えるような場所を探した。 そうしたら、パタヤを発見!!! パタヤは私がアジアに興味を持ち始めた 80年代に大人気の観光地。 そういえば、ず~っと行きたいな~って思ってた。。。 「そうだ!パタヤに行こう!」 交通手段やロケーション情報を調べ いざ出発!!! 当然、バスでの移動です。 実は日本にいると、バスはほとんど 利用することのない私。 どこで乗るだろうか? 羽田ー成田間のリムジンバスくらいかも。。。 でも、海外に出ると やたらと、公共の交通機関を使うんです! 市民の足的な交通機関を使うと その土地の人の生活が見えてくるから好きなんです☆ バックパッカーの血が騒ぐ!! よっしゃ! 久々に貧乏旅行にチャレンジだ!! で、BKK-パタヤ間は100バーツくらい。 2004年12月当時のレートで300円弱。 安い!!!! しかも、距離的にも120kmほど。 近い!!! ホテルのブッキングはBKKでは見送り 現地で探そうと無謀な計画に。 2時間ほどでパタヤに到着。 ん? ここからどうすればいい??? わけがわからん。 無計画。 (;´Д`) とりあえず、同乗してきたヨーロピアンの 皆様の動きをうかがい ついていってみる。 なにやら、運転手のおじさんと交渉してる。 ??? なんだろ? 行き先と、値段の確認をしてた。 よし、私もこのトラック型のバス(ソンテウ)に 乗っていってみよう。 運転手と行き先について打ち合わせてみた。 どこに行っていいかわからないので 安いホテルがたくさんある ビーチのあたりまで連れて行って欲しいと相談。 わかってくれた運転手さんに25バーツ払い ぎゅうぎゅうのトラックの荷台に乗り込んだ。 そして、ビーチ近くでおろしてもらい ホテル探しだ!! なにやら、初めての土地でテンションが上がる! しかし。。。 クリスマスシーズンが始まっており どこのホテルもFULL。満員です。 体中から吹き出る汗。 あせる心。 とりあえず、荷物だけでもどうにかしなきゃ! そこで、ちょっと高いホテル(2000円くらい)を見つけ 一泊だけチェックイン☆ で、荷物を置きシャワーを浴びて これから3週間の宿探し。 3時間以上も歩き続け ようやく1件の宿に到着。 3週間の契約で、一泊あたり600円!!! ついに見つけた!!! 部屋も満足。 暖かいシャワーもあるしエアコンもある。 冷蔵庫もテレビもある。 全然OK!!! 問題なし!!! そこから、私のタイの生活が始まりました。 日々のんびり過ごし。 年明けからの仕事の調整をし しばらく、日本には戻れないな~なんて思いつつ 毎日を満喫していた刹那 12月26日津波のニュース。 最初は、なんだ?どこ?全然関係ないと思ってた。 プーケットで多数の死者行方不明者。。。 しかも、そこは私が行こうと思ってた パトンビーチ。 しかも、インド洋海域は深刻な被害が。 全財産を投資して作り上げた プランニングもOUT。。。 12月26日。2004年。 私が全てを失った瞬間でした。 しかし、全て失ったと同時に命は与えられてたのです。 だから、私にとっての12月26日は 終わりではなく出発であったのです。 生かされ、試練を与えられ、苦しみを教えられ いかに自分が、裕福で贅沢であったかを 思い知らされ、何が生きるうえで 一番大切かを再確認することができた。 それが、今の私に息づいている精神です。 あ、タイでの楽しい生活ぶりはまた後日 ここで紹介していきますのでお楽しみに☆彡 タイの情報や画像はココを見てください!! ランキングに参加しています。 ポチっとクリックよろしくです♪ ↓↓↓↓↓↓ |